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 北海道の片田舎から40年ほど前に東京に出て企業家として成功者となった人の話です。この人を彼と表現します。
 今から40年も前のことですから、北海道もまだNHKドラマ「おしん」の時代を彷彿させる頃でした。その頃、北海道の片田舎では高校進学率は3割程度で、おおくの中学生が「金の卵」といわれ上野行の汽車で故郷を離れて行ったものです。

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 彼の父親は郵便局の臨時配達員、母親は田舎町の祈祷師でした。そんな貧しい中で、彼は両親の理解のもと高校の普通科へ進学しました。もともと、理数系の能力に優れ頭の良かった彼は、通学時間が1時間40分の汽車通学の中で、他の友人がやるような勉強はしませんでした。ただ、通り過ぎる窓外の景色にボーッと目をやっているのが常でした。通学の3年間、汽車の中で鉛筆一本持つことは無かったのです、それが高校生として彼の実態でした。

 しかし、当時の大学入試の模試などで、物理では全道ランク10位内に入ることがあったそうです。計算も数学の計算はできなくても物理の計算になると解くことができる特異な能力の持ち主でした。性格的にも大陸的なところがありこの頃から成功者としての片鱗が垣間見ることができました。

 その彼は、東京にある国立大学夜間部を進学先として入学しました。夜間部ですから、日中はある大手企業の関連会社の従業員として働きました。卒業後、その企業に勤務していたのですが、数年の時を経て企業家として独立しました。病院用の電子器具、インターネットー用のルーターの開発と納品に没頭したそうです。

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 独立して、10数年で成功者となり田園調布に1000坪の土地を購入し工場と持ち家を建てたました。彼が作る物は先進性に溢れており彼の天才性が伺える製品だったのです。納入先の大企業の研究所から研究者を招き入れるところまで発展していきました。何故そんな招き入れができるかというと、先端で開発に携わる研究者は若いうちに消耗している実態があるそうです。したがって。彼の製品開発者としての実態も過酷なものだったようで60歳前後に体の変調をきたし、今は後進の研究者に経営を譲っています。ただ、これまでの成功者としての得た資産は莫大なもので余裕に満ちた生活を送っているとのことです。